はじめまして。私は何の変哲もない31歳の男です。小さな頃から、漠然と起業をして自分で会社を経営したいと考えていました。
初めての記事となりますので、あまり需要のない情報だとはわかっておりますが、私の生い立ちを簡単にご紹介します。(自分で書いていてつまらなそうな記事すぎて震えます)
小学生の頃の私は、自分で言うのもおこがましいですがどちらかというと優等生で、いつも遊んでいる友達はその後、管内トップの高校や高専に進学するような子達ばかりでした。
私はそんな子達の成績と肩を並べ、そのまま中学校に進学しましたが、いつからか勉強をする気がなくなり、成績は中の中~中の下へ。
遊ぶ友達も普通な子とヤンチャな子、7:3くらいの割合に。学生のころ、同じような学力の子と遊ぶようになるのはなんでですかね。
時はすぎ、中学校2年生の夏の夜。
同級生の男友達4人で河川敷でBBQをしながらチューハイを飲んだことが誰かにチクられ、学校にバレる事件が発生。(自分が悪い)
成績は良くないし、飲酒が学校にバレるし、ろくな人生にならないと直感的に感じました。
先生に怒られながら思いました。
「あ、将来の職業、鳶(とび)だわ、こりゃ」
その後は大好きなBBQは継続しつつ、特に非行に走ることはなく(人に迷惑がかかる非行はしてないけど)、かといって特に何を頑張ったということもなく時は過ぎ、中学校3年生の春。
学力はすさまじく低いが、おもしろくて優しくて、友達が不良にいじめられているのを見たら、持ち前の鬼のような喧嘩スキルを発揮して不良を駆逐する、で有名なヒガシデ君に(主語長い)、
「学校祭でブレイクダンスを披露したいんだけど、一緒にどう?」
と誘われ、二つ返事でOKしました。
何を隠そう、僕らはナイティナイン岡村のブレイクダンス世代。
おまけに、人格者のヒガシデ君の誘いであれば断る理由なんて一つもない。
それからまもなく、ネット動画などを参考にブレイクダンスの練習を開始しました。
学校で練習をしていると、「学祭でみんなの前でカッコよく決めて、モテたいんでしょ」などとよく周りに言われましたが、とにかくクルクル回る技とかを一つひとつ習得する過程が面白かった。
学校祭で披露したダンスというと、低スキルの中学生があくせく踊る、今も動画を見ると恥ずかしくて目を覆いたくなる仕上がりだったが、なぜかその後人生初の彼女ができました。しかも、相手から告白をされて、のパターンです。
しかし付き合って1ヶ月後に「メガネかけている人、あんまり好きじゃない」と言われフラれました。(ちなみにメガネは中1からかけている。)
その後、中の中の学力の高校へ進学。あの日の悲しみから、メガネからコンタクトレンズに変えている。
ダンス熱はさらに加熱。ダンスに熱中しすぎて、もはやダンスと、ダンスに必要なお金を稼ぐためのアルバイトの2つしかしていなかった。
地元でダンスをしている人の中では知らない人はいないくらい有名にもなった。
高校3年生の3月に出場したトーナメント制のダンスバトルイベントでは、次々と勝ち上り、地元のダンススクールの有名講師とバトルになったものの、あっさり勝利。
私がダンススクールの講師をした方が良いのでは、と天狗になっていたらその後札幌のすごい社会人にケチョンケチョンにされて高校最後のダンスイベントが終了しました。
高校卒業後もダンスを続けていきたいと思い、仕事をしながらでは練習時間を確保できないと考え、札幌のFラン大学へ進学。(いつか危惧していた鳶への就職は免れる)
大学生活は毎日がとても楽しかった。
在学中にしていたフリーペーパーを製作するアルバイトでは、イラストレーターやフォトショップなどの操作スキルを習得。このスキルは、その後の人生にとても役に立った。
大学卒業後は札幌の不動産会社に営業職として就職。
この会社への就職が私の人生で最も大きなイベントでした。
とにかくブラックなのです。漆黒。黒の中の黒。葬式のスーツみたいな、黒い黒です。
定時は朝7時~夜7時。
社内には毎日上司の怒鳴り声が響き、営業成績が振るわないなら定時後も客周りをしなさいという体育会的な会社でした。
休みは土曜(隔週)と日曜でしたが、会社のトップの気分次第で土曜の休みは簡単になくなるという魔法を多用され、実質月4日しか休みがない時期も多々ありました。祝日はもちろん出勤です。
そんなブラックな労働環境の中、社長から「今日から、こういう契約を取ってきたら、これくらいの報酬を与えることにしたから、お前ら死ぬ気で頑張れ。契約を取ったら俺に報告するように」
と言われ、死ぬ気で頑張った結果その契約を取れたため、社長に報告すると、
「確かにこの契約を取るとこれくらいの報酬を与えるとは言ったが、カネ、カネって、目先のカネばかり考えているからダメなんだ」
と、契約の報告をしただけでなぜか罵られた結果、報酬ももらえないという魔法を使われたこともありました。
そのほかにも毎日、理不尽で悔しいことがたくさんありましたが、がむしゃらに営業を頑張った結果、2年目で営業成績が1位になり、その後退職するまでの4年間もずっと1位でした。
しかし、重労働が解消することは全くなく、精神的にやられる前に、まともなところに転職しようと決意。
転職を希望する業種で働くためには相当量の勉強をする必要があり、平日2~3時間、休日8~10時間の勉強を1年間、ほぼ毎日しました。仕事をしながらのこの勉強時間は本当にハードでした。
まだまだ遊びたい26歳のころに、友達との交友を一切断ち、重労働、膨大な勉強量、娯楽なしという環境があまりに辛すぎてなんのために生きているかわからない気持ちになりました。
そんな状態をなんとか1年続けた結果、希望する業種でようやく縁があり転職。超ブラック企業から、超ホワイト企業へ転身しました。
休日数は前職の倍、給料も年収で100万円ほど上がりましたが、大好きな札幌を離れることとなりました。札幌を離れるのがとにかく辛かったです。いい仕事があっても、好きな土地に住んでいないと何も意味がないと思いました。
私はこの業種で働きながら、札幌で勤務することが夢であったため、転職1年目から勉強の手を休めることなく、平日2~3時間、休日8~10時間、10連休くらいあったゴールデンウィークも1日も休まず1日10時間くらい勉強するなど、キチガイな生活は続きました。
10日間のスケジュールは、朝7時に起きて、8時から勉強開始。昼食などを挟み、19時頃に勉強終了。夕食をとってなんやかんやして、次の日も朝7時起きなので、23時には就寝。これを10日間。月の3分の1です。
これくらい娯楽を排除して生活すると、19時の勉強終了後に近所を散歩するだけで、なんだか楽しく感じて一人でニヤついてました。(←キチガイ不審者)
転職3年目くらいまでそのペースで勉強していましたがいつも最後の一歩で不採用となり、この頃は、精神的に本当にボロボロでした。
そしてついに採用の年齢制限を迎えたため夢を諦めることとしました。
諦めたときには、大きな虚無感とともに、絶対に同じような失敗をしたくないと思い、過去を振り返ってこんなことを思いました。
・学生のころ、勉強をやめなければよかった
・勝負するなら、自分の得意なことで勝負すべきだった(わざわざ苦手な土俵で戦う必要はなかった)
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さあ、夢を諦めてこれからどうしようかと思い、
不動産会社にいた頃は忙しくて勉強ができなかった宅建を勉強することとしました。休日も、キャンプなどをして遊ぶようになりました。(キャンプに行ったら少年時代から大好きだったBBQもできるしね。)
宅建については、今までの勉強よりは比較的簡単で興味のある分野ということもあり、2ヶ月の勉強で無事合格しました。すごくうれしかったです。
宅建も取ったし次はどうしようかと気楽にキャンプでBBQをしながら考えていると、起業をしたいという小さな頃から思っていた夢を思い出し、それから起業に関する書籍を読み漁る日々が始まりました。(せどり、株、不動産投資、仮想通貨なども勉強し、書籍代くらいは取り戻しました)
転職活動時の勉強の知識は他の場面では全然役に立たないけど、勉強に対する抵抗がなくなったのはかなり大きいと思います。
しかも、これからは自分の人生に役立つことや興味あることしか勉強しなくていいんだーということが嬉しかった。
その日々にした勉強は、今までやってきた勉強より数倍楽しく、諦めた札幌の就職先より、起業して独立した方がずっと経済的な夢があると感じ、勉強は捗りました。
起業の勉強と並行して、「これからの時代、いつかは使うだろう」と思いプログラミングも勉強し、必要最低限の知識も習得しました。
そうして始めることとなったのが、ポスティングサービスです。
ポスティング本に感化されたのが決め手ではありますが、その本を読む前から「チラシ1枚につき1店舗、1つの会社のPRしか載らないのは不経済で、近隣の店舗で一緒に出せば同じ値段でたくさんのチラシを撒けるのになぁ」と思っていました。
ポスティング本を読み終わった後、「たった1人で、しかも初めてやるビジネスとしては作業量的にも適当ではないか」と思い、やってみることにしました。
おそらくあのタイプの副業本を読んで、本当にビジネスを始めた人は全国で2人くらいだと思います(笑)
プログラミングの知識でホームページを作って、営業の経験を活かして掲載店様を募って、フリーペーパーのアルバイトで培ったスキルでチラシをデザインして、不動産会社でやっていたポスティング のノウハウも活かして…
これはまさに今までの知識や経験でできるビジネスだ!簡単にすぐできる!
と思いましたがその考えは浅はかで、こんなに小さなビジネスでも、やらなければならないことがもの凄く多いことに、やってから気付きました。
完璧を求めるとサービスのリリースまで辿り着く前に挫折すると感じ、まずはリリースして、そこからブラッシュアップすることとしました。
そうして、仕事をしながら、業務時間外に作業を進めている今日この頃です…
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というわけで、以上が私のざっくりとした経歴です。取り止めのない文章で大変申し訳ありません。
目標に向けては飽きずに熱中して続けられる根性のある性格だと思っています。他方、意思の強さゆえ「頑固者」とも言われるので、人の意見をとにかく取り入れるように意識しています。
こんな私をよろしくお願いいたします。